日本の夏といえば、最終的に人を打ちのめすのはあのまとわりつく湿度ですが、気温そのものも容赦なく襲いかかってきます。その酷さは年々増すばかりで、日本は過酷な暑さの日を表す新たな気象用語を生み出さざるを得なくなりました。それが「酷暑日」です。簡潔で、まさに言い得て妙と言えるでしょう。しかし、ふと疑問が湧いてきます。エアコンなど存在しなかった侍の時代、人々はいかにして真夏の焦げ付くような猛暑を生き抜いたのでしょうか?その答えが、ここにあります。

竹製の「すだれ」。喜多川歌麿『四季遊花之色香』(1788〜1890年頃)に描かれた庭での納涼の風景
夏を旨とする住宅建築
中世日本の有名な教えに、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」という言葉があります。これはすなわち、風が通る家を作るということです。封建時代の日本住宅は、開放的な空間と引き戸によって、事実上「高床と屋根をわずかな壁で支える構造」へと姿を変え、涼やかな風の通り道を作り出すことができました。この設計思想は、「夏の暑さを止めることはできないが、せめて風を家に招き入れよう」という一種の戦略的な撤退の美学でした。この工夫は、現代の日本の古い家屋や地方の日本家屋でも今なお受け継がれています。
また、深張りされたひさしや縁側は日陰を作り出し、心地よい日陰で涼む場所を提供しました。そして室内で過ごすのを好む人々には、いつの時代も「すだれ」がありました。すだれは、今でも日本全国の多くの場所で親しまれていますが、建物の外側に吊るす細い竹製のブラインドで、日光が室内を温める前にシャットアウトするため、室内のカーテンよりも遥かに優れた遮熱効果を発揮しました。現代のすだれにはプラスチック製のものもあり、室内側に掛けられることもあります。
すだれをさらに進化させたのが「よしず」と呼ばれるよしで作られた日除けです。京都で高級な緑茶(玉露など)の日よけとして使われていた藁の覆いに由来すると言われるよしずは、家屋に立てかけて日陰を作り、室内を涼しく保つ可動式の壁として重宝されました。こうした家屋とお茶の木との共通点は日よけだけではありません。どちらも真夏には大量の「水」を必要としたのです。

家の前に水(打ち水)をまく風景。歌川国芳『夏』(1843年頃)より
「打ち水」は、家の前や店舗のまわりに水をまく風習で、現代でも日常的に行われています。過去の研究によれば、打ち水による水分の気化熱効果により、地面近くの気温を最大で6度も下げることができるとされています。神道の清めの儀式に由来するとも言われていますが、単に「冷たい水をまけば涼しくなる」という生活の知恵から始まった可能性も十分に考えられます。真夏の暑さで脳が茹だりそうな時には、誰しも複雑な思考などできないものだからです。

水売りから冷たい井戸水を買う女性の姿。初代歌川豊国(1800年代頃)
元祖タピオカと涼を呼ぶ食文化
2018年から2019年にかけて、日本中でタピオカミルクティーが大ブームとなりましたが、日本人が行っていたのは実のところ、封建時代の過去の記憶を呼び覚ますことでした。江戸時代(1603〜1867年)、大都市(特に将軍のお膝元である江戸)の人々は、深く掘られた井戸から汲み上げた冷たい井戸水に甘みを加え、もちもちとした白玉を浮かべた「水白玉」で涼をとっていました。これは主に、棒手振りの行商人や露店が「冷やっこい、冷やっこい!」と声を張り上げながら売り歩いていたものです。

夏の冷やし麺を味わう男たち。葛飾北斎『北斎漫画』第12編(1834年頃)より
夏の暑さを吹き飛ばすもう一つの名物料理が「流しそうめん」です。これは食事であると同時に、暑さを忘れるためのゲームでもありました。伝統的な流しそうめんでは、半分に割った竹で樋を作り、そこに冷たい水を流します。上流から流される細いそうめんを、樋の脇に並んだ人々が箸でうまく捕まえて味わいます。現代でも多くの日本人が家庭やイベントで流しそうめんを楽しみ、夏限定で提供する専門店も賑わいを見せます。
そして、18世紀までさかのぼる日本の夏の生存戦略における意外なスタミナ食が「ウナギの蒲焼き」です。実際、一年で最も暑い時期とされる7月下旬から8月上旬の「土用の丑の日」にウナギを食べることは、現代の日本人にとって半ば義務のようになっています。後付けの理由として「栄養価の高いウナギを食べて夏バテを防止する」と説明されますが、実は江戸時代、ウナギは精力増強の薬としても重宝されていました。現代でもドラッグストアなどでウナギエキスを配合したドリンクが見られるように、その効能は今なお信じられています。
しかし実のところ、ウナギが夏の定番となったのは一人の男の仕掛けによるものでした。その男とは、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチであり、日本最高の奇才にして風刺家、そして日本初のコピーライターとも言える平賀源内です。1700年代のある夏、商売があがったりで困っていた知り合いのウナギ屋を助けるため、源内は「特定の日に『う』のつく食べ物を食べると縁起が良い」という民間信仰に着目しました。ウナギの頭文字は「う」であることから、彼は「土用の丑の日にはウナギを食べよう」という看板を掲げさせました。こうして、数百年にわたって続く空前のヒット習慣が誕生したのです。

北尾政演(山東京伝)『東錦浮世画稿』(1783年頃)より「風鈴」
五感と心理で味わう「涼」の美学
現代では、暑がっている人に「涼しいことを考えろ」と言うのは半ばジョークのようですが、侍の時代において、それは日本の夏文化の背骨そのものでした。視覚、聴覚、そして想像力を駆使して、体感を冷やそうとしたのです。その鍵となったのが、気温の低さを連想させる「涼しいもの」で身の回りを満たすことでした。
例えば、風鈴(涼やかな風を音で感じさせる)、金魚(冷たく澄んだ水の中を泳ぐ)、ホタル(気温が下がる夜間に鑑賞する)、アサガオ(一日のうち最も涼しい朝方に花を咲かせる)などが挙げられます。実際に本物の生き物や植物を見に出かけることもあれば、これらをモチーフにした工芸品や図案を身の回りに置くことで、脳を錯覚させて「涼しさモード」へと導きました。そして、それでもダメなら……恐怖で背筋を凍らせて暑さを吹き飛ばすという選択肢がありました。

葛飾北斎『百物語』(1790年頃)より
江戸時代、夏の間は人々が背筋の凍るようなゾクゾクとする恐怖体験を買い求めたため、お化け屋敷や見世物小屋は夏に書き入れ時を迎えました。日本の容赦ない猛暑は、数多くの超自然的な怪異文化を生み出す原動力となったのです。100人が集まって怪談を語り合う「百物語」の集いもその一つです。想像力が熱を帯び、背中には冷や汗が流れるこれらの怪談会を通じて、多くの妖怪や超自然的な怪物が生み出され、洗練されていきました。
日本人がこれらの知恵と工夫によって厳しい夏を生き抜いてきたことを思えば、そこには確かに確かな効能があったと言えます。もしこれから先、エアコンが故障してしまうようなことがあれば、修理業者が到着するまでの間、先人たちの「涼」の智慧をぜひ試してみてはいかがでしょうか。
この記事は、Cezary Jan Strusiewiczによる英語の原文を翻訳・編集したものです。