平日の朝、さぼうるのドアを押し開けると、神保町はまだあくびの途中にいるようだった。早朝の空気の中に雨がしとしとと漂い、古書店街の街並みをグレーと落ち着いた茶色が混ざり合う、水彩画のような淡い景色に変えている。そんな日は、本能的にどこかへ逃げ込みたくなる。暖かな光が灯り、手に温かい飲み物を約束してくれる場所。さぼうるは、その本能に即座に応えてくれる。
1955年の創業から約70年。さぼうるは伝説的な地元の定番として、山小屋のような温もりのある内装と、鮮やかなクリームソーダ、ボリュームたっぷりのナポリタンやピザトーストといった安心感のあるメニューで愛され続けてきた。しかし、何よりもこの店を形作っているのは「人」に他ならない。3代目マスターの鈴木文夫氏は、開店当初から長きにわたってカウンターを守り続けてきた。2021年に彼が惜しまれつつこの世を去った際、その志を継いだのが、かつて従業員としてこの店で出会い、恋に落ちて夫婦となった伊藤雅史さんと智恵さんだ。
午前11時の開店30分前には、すでに3人の客が外に並び、曇ったガラス越しに中を覗き込んでいる。正午を待たずして店内は満席になり、外では雨粒がゆっくりと窓を伝い落ちていく。店内では暖炉の中に置かれたヒーターが窓際の席を優しく温めていた。伊藤さんは、その特等席に私の視線を向けた。「窓際側には」と彼は語る。「今でも常連客が語り合っていた賑やかな雰囲気や、先代マスターがその輪の中にいたような感覚が、色濃く残っているんです」
何十年もの間、鈴木氏は窓際の定位置に座り、通りがかる人々へ温かな挨拶を交わしてきた。今、その場所には彼の遺影が置かれ、静かに遠くを見つめている。見る角度によっては、彼が今もこの空間を優しく見守っているかのようにさえ感じられる。
地元のアイコンを引き継ぐことにプレッシャーはないのか。そう尋ねると、伊藤さんは静かに肩をすくめた。プレッシャーはそれほど感じていない、と彼は言う。周囲から責任の重さを指摘されるたび、もっと感じるべきなのかと自問することもあるが、根底にあるのは「自分自身が楽しんでいる」という感覚だ。彼が向き合っているのは、外からの期待というよりも、時代の「移行」そのものだった。「私たちは変化の時代に生きています」と彼は説明する。「先代の時代に正解だった方法が、今も通用するとは限りません。以前と全く同じことだけを続けていれば、いつかは取り残されてしまう。それでも、絶対に守り続けなければならないものがあります。何を守り、何をアップデートするのか。その繊細なバランスこそが、私たちの真の挑戦なんです」
「世界で最もクールな街」で喫茶店を継ぐということ
さぼうるが佇むこの界隈は、近年、一躍世界の表舞台へと躍り出ました。昨年、神保町が『Time Out』誌によって「世界で最もクールな街」の一つに選出されたのです。世界が注目するエリアの象徴ともいえる歴史的喫茶店を運営することについて、伊藤さんにその心境を尋ねてみました。
すると、彼の口から返ってきたのは驚くほど率直でシンプルな言葉でした。
「今さら?」
彼はそう言って悪戯っぽく笑いました。「もちろん、街の誰もが喜んでいましたよ」と彼は続けます。「このエリアのユニークさ、良い意味で少し『奇妙』な独特の雰囲気が認められたのは嬉しいことです。確かにクールだと思いますね。ここには本当に面白い人たちがたくさん集まっていますから」
しかし、華やかな見出しの裏側で、日々の運営という現実は決して平坦ではありません。伊藤さんは、近所に自分と同世代のカフェオーナーが少ないことを実感しています。それでも、カフェ・トロワバグ、ラドリオ、ミロンガ・ヌオーバといった名店のオーナーたちとは連絡を取り合い、神保町以外でも上野や大阪、京都などの店主たちとイベントで顔を合わせることもあるそうです。
彼らの多くは親から店を継いでおり、従業員から跡を継いだ伊藤さんとは歩んできた道のりは異なります。ですが、抱えている悩みは共通していました。言葉を交わすたび、現代において「古い空間」を維持し続けることへの静かな不安を共有していることに気づかされるといいます。「それでも、本当に優しいコミュニティなんです。皆、驚くほど親切に接してくれますから」と彼は付け加えます。
観光客や学生、そしてレンズを向ける写真家たちを惹きつけながら、神保町は刻々と進化を続けています。その奔流の中で、さぼうるがしなやかに適応し続けていけるのは、受け継いだ「哲学」があるからだと伊藤さんは信じています。
先代の鈴木氏は、決して人を拒みませんでした。好奇心旺盛な若者、何十年も通う高齢の常連客、そして海を越えてやってくる訪問者。この空間を尊重する気持ちさえあれば、誰であっても温かく迎え入れられました。
「さぼうるが、誰でもふらりと入ってこられる場所であり続けてほしい。良い意味で『敷居の低い』場所でありたいんです」
伊藤さんのその言葉には、変わりゆく街の中で変わらぬ安らぎを守り抜く、新しいマスターとしての静かな覚悟が宿っていました。
あらゆる人のための場所
さぼうるは、これまでに見たことのないような独特な空気を纏った喫茶店です。その内装は、まるでダークウッドで組み上げられたジャングルのツリーハウスのよう。壁にはティキマスクやトーテムのモチーフが飾られ、地下へと続く階段をウッドビーズのカーテンが揺らしながら仕切っています。
すべてのテーブルには、数十年の月日が刻んだ穏やかな摩耗の跡が見て取れます。漆に走る小さなひび割れ、丸みを帯びた角、そして何千、何万杯ものカップを支え続けてきた滑らかな表面。階下へ降りれば、連なるペンダントランプがレンガの壁に琥珀色の柔らかな光を投げかけ、訪れる人を包み込みます。
目を引くのは、壁のあちこちに刻まれた無数の落書きです。この店を第二の家のように慕う常連たちの名前、寄り添う二人の名前を記した「相合傘」、誰かへの励ましの言葉、率直な愛の告白や合格祈願、あるいは教科書の余白にあるような風変わりな悪戯書き……。
木の梁の片隅には、シンプルに「ピザトースト」とだけ記されていました。さらに別の柱には、少し色あせた白いインクで「30年あっという間」という一筆も。これを書いたのは、かつての学生でしょうか。それとも、大切な瞬間を刻んだカップルでしょうか。あるいは、数十年の月日が静かに積み重なるのをここで見守ってきた常連客かもしれません。
さぼうるの中では、時間は独自の奇妙なリズムで動いています。並んで掛けられた3つの壁時計のうち、確かな足取りで時を刻み続けているのは、たった一つだけ。鳩時計は小さな扉を閉ざして静かに眠り、もう一つの時計は、傷つき曇った文字盤のなかで、ずっと前に降参したかのようにその針を止めています。
物でいっぱいの部屋、人でいっぱいの部屋
「物」という観点から言えば、さぼうるは決してミニマリズムとは無縁の場所です。窓際のボックス席に腰を下ろすと、私はこの店の「永住者」たちに囲まれていることに気づきます。レンガ壁の棚には、店名の入った伝統的な提灯とともに、ティキ像の一団が守護兵のようにぎっしりと並んでいます。窓際のベンチでは、埃をかぶった雑誌の山の上で、ダルマが不透明なスノードームや縁起物の守護札と席を共にし、天井からは風鈴やドリームキャッチャー、モビールが賑やかに吊り下げられています。
しかし、何よりも心に響くのは、額の中で温かく微笑む鈴木氏の肖像画です。その後ろには、髪を真ん中で分けた若かりし日の男性——おそらく伊藤さんでしょう——が、バーテンダー姿で真っ直ぐに立っています。
鈴木氏の直感は、常に「人々を驚かせること」に向いていたと伊藤さんは語ります。彼は、客が小さくも喜びに満ちた驚きを見せる瞬間を、何よりも愛していました。今やさぼうるの代名詞となった鮮やかな「レインボーカラーのクリームソーダ」も、そんな彼の遊び心から生まれたものです。
ほとんどの喫茶店が定番の緑色しか提供していなかった時代、鈴木氏は多色展開という新しい試みを導入しました。当時はまだ7色ではなく4色だったと伊藤さんは回想しますが、別の選択肢があることを知った客たちの反応は、目を見張るほど驚きに満ちたものだったといいます。結局のところ、多くの客は慣れ親しんだ緑を選びましたが、鈴木氏が最も楽しんでいたのは、選ぶ際の一瞬の迷いや、わずかに見開かれた客の瞳でした。
さぼうるに滞在している間、客足が途切れることはありませんでした。まず入ってきたのは、まるで自分のリビングに戻るような親密な足取りの年配女性のグループ。その一人が鈴木氏の遺影の前でふと立ち止まり、少し身を寄せて微笑みかけました。それは旧友に挨拶を交わすような、あまりに個人的で優しい光景でした。
続いてやってきた家族連れでは、幼い息子が赤いクリームソーダを選び、こぼさないよう両手で大切そうに抱えています。さらに2人の女子高校生がボックス席に滑り込み、ダークウッドの地下室に楽しげな笑い声を響かせながら、さぼうる名物のいちごジュースを注文しました。
何十年もの間、この場所がそうであったように。今日もさぼうるの部屋は、学生、常連、観光客、そして家族連れという、多様な「人」のぬくもりで満たされていました。

「若いお客さまにとって、さぼうるがどのような場所であってほしいですか?」そう尋ねると、伊藤さんは少し考え、「思い出に残る場所」と答えてくれました。
「この内装は視覚的にもすごく特徴的ですよね。だから、20年、30年経ったあとにふと振り返って、『ああ、あのお店を覚えているな』と思ってもらえたら嬉しいんです。最近は似たような雰囲気のカフェも多いですから、どこへ行ったか忘れてしまうこともあるかもしれません。でも、これだけ目立つ場所なら、きっと記憶に焼き付くはずです。社会に出て働いたあとや、人生の後半になってから、ふとした瞬間にさぼうるを訪れた日のことを思い出してくれたなら、私にとってはそれで十分なんです」
もちろん、と彼は少し悪戯っぽく微笑んで付け加えました。「そのためには、お店をずっと長く続けていかなければならないんですけどね」
しかし、「ここは唯一無二の場所ですから」と言い切る彼の柔らかな声には、一筋の迷いも、疑いの余地もありませんでした。
More Info
さぼうる:東京都千代田区神田神保町1-11
※さぼうるは現金のみの取り扱いですのでご注意ください。
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