墨田区京島の午後。波板のシャッターが下りた小さなお店の前では、10人ほどの高齢者たちが今か今かと開店を待ちわびています。手元にはシャンプーとリンスが収まったプラスチックの籠、肩には使い込まれたタオル。
午後3時ちょうど、ガラガラと小気味よい音を立ててシャッターが上がると、待っていた人々は吸い込まれるように地元の銭湯「電気湯」へと入っていきました。
一歩足を踏み入れると、そこは柔らかな光に満ちた空間。パステルブルーとオレンジのストライプが鮮やかな天井は驚くほど高く、湯船から立ち上る真っ白な湯気を優しく逃がしています。
熱いお湯にゆっくりと身を沈めれば、日々の生活で強まった体中の緊張がほどけていきます。客たちは皆、肩までどっぷりとお湯に浸かり、心の底から満足げな、心地よい溜息を漏らすのでした。
銭湯の感性
銭湯文化は江戸時代、各家庭に風呂がなかったため、体を洗う場所として発展しました。現在、日本の住宅の98%に風呂が備わっているにもかかわらず、銭湯は依然として住宅街に存在し、入浴の場として機能し続けています。しかし今、銭湯はリラックスや精神の回復、そしてレトロな雰囲気やユニークな建築デザインを楽しむ場所として、新たな役割を担っています。
また、銭湯は約500円で利用できる、肩書きのない平等な空間でもあります。そこでは地位や年齢に関わらず、誰もが世間話を楽しむことができます。入浴し、見知らぬ人と語らい、湯上がりにコーヒー牛乳を飲む――。こうした喜びは愛好家には馴染みの儀式ですが、都市部では銭湯は年々希少な存在となっています。東京ではわずか6年の間に約100軒もの銭湯が廃業しました。現在500軒を下回っていることを考えると、これは驚くべきスピードです。

江戸の歴史的な銭湯
最初の銭湯は、1591年に江戸の銭瓶橋近くに建てられたと言われています。当時、江戸の人口は100万人を超え、全国から労働者が流入していました。急速な都市開発が進む中、庶民の多くは木造住宅に住んでおり、常に火災の危険にさらされていました。江戸時代の浮世絵には火消し文化が多く描かれていますが、それは村全体を焼き尽くす延焼のリスクが常にあったためです。
そのため、下町に住む町民が自宅に薪で沸かす風呂を持つことは禁じられていました。こうして銭湯が誕生し、江戸っ子の日常生活の一部となったのです。しかし、銭湯の全盛期はもっと後の戦後です。1968年には日本全国に18,000軒以上の銭湯が存在していました。
1927年に創業した「タカラ湯」は第二次世界大戦を生き延びました。その立派な社寺造りの建物と広大な庭園から「キングオブ縁側」または「キングオブ庭園」の愛称で親しまれ、今でも市内で最も人気のある歴史的な銭湯の一つです。反り上がった「唐破風(からはふ)」を持つ宮造りの外観は、日常から切り離された超越的な雰囲気を感じさせます。店主の松本浩一さんはこう語ります。「建物はすべて木造ですが、だからこそここまで生き残れたのだと思います。かつてこの辺りには貯木場や、鉛筆などの木工工場がたくさんありました。隅田川や荒川を使って物資を運んでいたんです。昔は燃料を手に入れるのが大変だったので、銭湯はよく燃えやすい物がある場所の近くに作られました。今では貯木場はなくなり、お湯を沸かすにはガスを使っています。」
「以前はこのエリアに36軒の銭湯がありました。今は6軒しか残っていませんが、ピーク時の1971年には足立区全体で154軒ものお風呂屋さんがあったんです。でも今は20軒ほど。ここ10年で高齢化が進み、小学校も閉校しました。しかし、学校の跡地に大学がキャンパスを開いたおかげで生き残れました。足立区には大学がなかったのに、今では6つもあります。突然『学生の街』になったので、若いお客さんが増えました。例えば、帝京科学大学の学生が柔道の試合の後に浸かりに来てくれます。」
「毎日通ってくれるお客さんもいます。それは彼らのライフスタイルの一部なんです。独居老人にとっては、家に閉じこもっているよりずっといい。実は家庭のお風呂で亡くなる方は年間7,000人から8,000人にも上ります。交通事故より多いんです。銭湯のお風呂は大きいので、体温で湯温が下がる家庭の風呂のように冷たくなることもありません。湯上がりに庭でビールやコーヒー牛乳を楽しんで、リラックスしてもらいたいですね。」

若者たちが牽引する銭湯再興
今や銭湯は「おじいちゃんおばあちゃんだけの場所」ではありません。銭湯ブランドのグッズ、イベント、銭湯をテーマにしたアート展などが盛んに行われています。Instagramで「OSENTO(オセントウ)」マガジンを運営する田中海さんは、1万人以上のフォロワーを抱えています。田中さんによると、フォロワーの55%が女性、45%が男性で、圧倒的に20代の若者が多いと言います。
「若者にとって銭湯に行くことは少しトレンディなことなんです。彼らにとって銭湯は懐かしいものではなく、『新鮮なもの』として映っています。おばあちゃんの家を思い出させますが、すぐに馴染みがあるわけではない。芸術的で美しく、異世界のような、新しい文化の一部だと感じているようです。決してメインストリームの若者だけではなく、レコードを好んだりドトールでコーヒーを飲んだりするような層に支持されています。最近ブームのサウナファンとも層が重なっていますね」と田中さんは分析します。
田中さんは、若者の間で銭湯人気に火をつけた大きなきっかけの一つとして高円寺の「小杉湯」を挙げます。「若者の間ですごく有名です。入りやすくて可愛らしく、レモンミルク風呂のようなテーマ設定が若い女性を惹きつけています。」
また、現代の若者が「癒やし」を求めているとも指摘します。「今の時代、感情を溜め込みがちです。皆忙しく、孤独を感じている人も多い。プライベートでも仕事でも、すべてが『デジタル、デジタル』ですから」と彼は説明します。
錦糸町近くにある「大黒湯」と「黄金湯」も、若者に非常に人気のあるスポットです。大黒湯は深夜まで営業しており、スカイツリーを望める広い露天風呂が特徴のクラシックな銭湯です。一方、ブルーボトルコーヒーなども手がける建築家の長坂常氏がデザインした黄金湯は、DJブースや近未来的なサウナを備えた、東京で最もスタイリッシュな銭湯の一つです。コンバースなどのブランドとのコラボレーションも頻繁に行われています。
黄金湯のオーナー、新保卓也さんはこう言います。「銭湯は交感神経をリセットしてくれます。現代人は疲れすぎているし、考えすぎています。私たちが銭湯ブームを発信して良さを説くよりも、お客さんが自分の体で感じることこそが大切だと思っています。」

黄金湯のデザインは、伝統的な構造と現代的な要素を融合させています。
生き残りをかけた苦闘
銭湯の経営は、過酷な肉体労働です。新保さんは、深夜3時まで掃除をし、さらに午前10時から再び掃除をすると説明します。「普通の人の2倍働かなければならず、それを何十年も続けなければなりません。うちはスタッフがいますが、多くの銭湯は人を雇う余裕がありません。続けるには忍耐が必要です。」
マネージャーの大久保勝仁さんの祖母が建物を所有している「電気湯」のような人気の銭湯でさえ、苦労しています。「もし家賃を払わなければならなかったら、経営は不可能でしょう」と大久保さんは認めます。彼の努力により、電気湯の客数は1日90人から250人へ、月平均3,000人にまで増加しました。その理由の一つは、大久保さん自身がコミュニティのハブとなっていることです。彼はイベントや展示会を開催し、銭湯のロビーは京島のクリエイターたちの「共同リビング」のようになっています。 しかし、銭湯の光熱費は月に約70万円かかります。補助金を得て40万円程度に抑えられてはいますが、人件費、修繕費、ペンキの塗り替え費用など、考慮すべきコストは山積みです。
建築家や陶芸家らで構成されるグループ「銭湯山車」は、廃業した銭湯の部品を集めて山車を作りました。彼らはアート・インスタレーションとして、また文化を伝える媒体として東京中を回っています。彼らは文京区で閉業した銭湯のアーカイブ化という切ない活動も行っています。都市デザイナーで建築家の三文字昌也さんはこう言います。「この地域には12軒の銭湯がありましたが、今は4軒だけです。東京全体でも減少は著しい。過去11年間、私たちは消えゆく銭湯を調査し、写真撮影や建築スキャンを行って雑誌にまとめてきました。タイルやロッカーなどの部品も引き取っています。ただ集めるだけでなく、銭湯文化に注目を集めるために移動式の銭湯(山車)を作りました。多くの人に銭湯を知ってもらいたいんです。」
建築家の栗生はるかさんは、文京区のような高級住宅街ではマンション需要が高いため、銭湯を経営するよりも開発する方が遥かに利益が上がると指摘します。しかし、彼女は銭湯の価値が単なる商業的な利益よりも何倍も大きいと感じています。

電気湯は京島で愛されている地元の拠点です。
共有されるパブリックスペース
銭湯は、カフェや公園とは異なる、不思議な「セミ・パブリック」な空間です。何より、人々が裸であるという点が重要です。そこではファッション、化粧、宝飾品といった社会的なステータスを示すものが排除され、誰もが平等になります。彫刻家の村田勇気さんは、銭湯は「公」と「私」の境界にある場所であり、最終的にはコミュニティや他者の存在こそが、その地域にとって銭湯を重要な存在にしているのだと語ります。
「若者は『楽しい、さっぱりする』といった個人的な理由で通う傾向があるかもしれませんが、集いの場としての銭湯は、究極のコミュニティ空間です」と栗生さんは説明します。「異なる世代の人々が集まれる場所はそう多くありません。マンションに住んでいれば、隣に誰が住んでいるか分からず、地域とのつながりもありません。でも銭湯に行けば、いつものおばあちゃんに話しかけられ、共に生きる人々の顔が見えるのです。」
「古き良き銭湯は、他者と共存し、他者を知り、空間を共有する場所です。この『他者』を強調することが非常に重要です。このような場所がなければ、人生は本当に自分一人のためだけのものになってしまいます。」
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この記事は、Manami Okazakiによる英語の原文を翻訳したものです。